大阪地方裁判所 昭和49年(ワ)1733号 判決 1978年5月11日
昭和四九年(ワ)第三五四号事件原告・
堀川ひでを
第一七三三号事件被告
昭和四九年(ワ)第一七三三号事件原告
藤立啓一
昭和四九年(ワ)第三五四号事件被告
守口運送株式会社
主文
(昭和四九年(ワ)第三五四号事件)
一 被告は原告に対し、金一二九万六、六〇〇円およびうち金一一九万六、六〇〇円に対する昭和四八年八月八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを四分し、その三を被告の、その余を原告の各負担とする。
四 この判決の第一項は仮に執行することができる。
(昭和四九年(ワ)第一、七三三号事件)
五 被告は原告に対し、金四五万一、六〇〇円およびこれに対する昭和四九年四月二五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
六 訴訟費用は被告の負担とする。
七 この判決の第五項は仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
(昭和四九年(ワ)第三五四号事件)
一 原告
「被告は原告に対し、金一七四万二、六〇〇円およびうち金一六四万二、六〇〇円に対する昭和四八年八月八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決ならびに仮執行の宣言。
二 被告
「原告の請求を棄却する。」旨の判決。
(同四九年(ワ)第一、七三三号事件)
三 原告
主文と同旨の判決ならびに仮執行の宣言。
四 被告
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」旨の判決。
第二当事者の主張
(同四九年(ワ)第三五四号事件)
一 原告の請求原因
(一) 事故の発生
昭和四八年八月七日午後六時三〇分ころ大阪市旭区中宮四丁目一〇番一八号先付近道路上において、同道路を南から北に向かつて進行して来て、同所北方の交差点の赤信号に従つて一旦停車していた被告会社代表者李重雄(ただし、当時は被用者)運転の普通貨物自動車(大阪一一き二〇九五号、以下被告車という。)が同交差点から進入して来た対向車両と離合するため約二メートル北から南に向かつて後進し、折柄、被告車の後方を自宅から出て、西から東に向かつて道路を歩行中であつた原告に同車後部が衝突し、原告は路上に転倒した。
(二) 被告の責任
被告は被告車を所有し、本件事故当時、その業務(貨物運送業)に使用して同車を自己のために運行の用に供していた者である。
(三) 原告の被つた損害
1 受傷
頭部外傷Ⅱ型、頭蓋骨骨折、頭部巨大皮下血腫、右側胸部および右前腕部高度挫傷
2 治療経過
入院
昭和四八年八月七日から同年九月九日まで藤立外科に。
通院
同月一〇日から同月一三日まで同外科に(うち治療実日数二日)
その後関西医大付属病院に。
3 損害
(1) 治療費(藤立外科関係分) 八五万一、六〇〇円
(2) 入院雑費 二万一、〇〇〇円
一日当り六〇〇円の割合による三五日分
(3) 入院付添費 七万円
原告の入院期間中近親者が付添看護したので、その費用は一日当り二、〇〇〇円の割合による三五日分の標記の金額が相当である。
(4) 慰藉料 七〇万円
本件事故の態様、原告の受傷、治療経過等のほかに、被告は原告に対し治療費さえ支払わないので、原告はあちらこちらから借金して入・通院治療を続けざるを得ず、その心労は多大であつたので、右事故により被つた原告の精神的苦痛に対する慰藉料は標記の金額が相当である。
(5) 弁護士費用 一〇万円
(四) よつて、原告は被告に対し右事故による損害額合計金一七四万二、六〇〇円およびうち弁護士費用を除く金一六四万二、六〇〇円に対する右事故発生日の翌日である昭和四八年八月八日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 被告の答弁
(一) 請求原因(一)のうち、原告主張の日時、場所において、その主張のとおり進行して来た李運転の被告車が信号待ちのため一旦停車していたこと、その後方を歩行中の原告が路上に転倒したことは認めるが、その余の事実は否認する。同(二)は認める。同(三)のうち1は認めるが、その余の事実は不知。同(四)は争う。
(二) 原告は眼が悪く、日常めがねを使用しているが、本件事故当時はそれをかけずに外出しようとしており、一方李は進路前方の交差点の対面信号が青色に変つたので、発車のためギヤーを前進に入れて、ブレーキペタルを右足で踏んだまま、クラツチペタルから左足をゆるめて半クラツチの状態にして、すばやく右足をブレーキペタルからアクセルペタルに移行して同ペタルを踏み込んで発進したものであるが、被告車の後方を歩行中の原告はその発車音に驚いたか、或いは同車の揺れを後進と錯覚したものかはつきりしないが、自ら路上に転倒したものであつて、被告車は後進してはおらず、また原告に接触、衝突はしていない。
三 被告の抗弁
仮に、原告の受傷が被告車の運行に基因するものとしても、本件事故は原告が停車中の同車の後方を歩いていて、自ら転倒した一方的な過失により発生したものであつて、李にはなんら同車の運転上の過失はなく、また同車に構造上の欠陥、機能の障害はないので、自賠法三条但書により被告の原告に対する損害賠償債務は発生しない。
四 右抗弁に対する原告の答弁
被告の抗弁は否認する。
(昭和四九年(ワ)第一、七三三号事件)
五 原告の請求原因
(一) 原告は法定の医師免許を得て、肩書住居地で外科医業を営む者である。
(二) 被告は昭和四八年八月七日交通事故により頭蓋骨骨折等の傷害を被り、同日原告に対し自由診療に基づく診療報酬を支払う約定のもとに傷害の診療を委任し、同日から同年九月九日まで原告方病院(藤立外科)に入院し、その後同月一三日まで(実治療日数二日)通院し、原告はその治療をした。
(三) そして、その治療費等は左記のとおり合計八五万一、六〇〇円になる。
記
1 診察料(初診、再診費) 一、九〇〇円
2 投薬料(内服薬その他)七万二、八〇〇円
3 注射料 五一万〇、八二五円
4 処置料(浣腸その他) 二万九、二〇〇円
5 手術料(頭部その他) 三、八二五円
6 レントゲン検査料 四万二、八五〇円
7 入院料(室料、食費)一八万〇、六〇〇円
8 寝具料 五、一〇〇円
9 診断書料等 四、五〇〇円
(四) そのうち、被告は原告に対し昭和四八年一〇月一日四〇万円を支払つた。
(五) よつて、原告は被告に対し残債権金四五万一、六〇〇円およびこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四九年四月二五日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
六 被告の答弁
(一) 請求原因(一)ないし(四)は認める。同(五)は争う。
(二) 原告の治療内容は被告の受傷の程度に比較して不必要、不相当なものであり、その治療費等の金額は余りに過大である。
七 被告の抗弁
被告は無資産・無収入の高齢者であつて、原告方病院に入院の際、守口運送株式会社が治療費一切を負担すると、原・被告に対し言明したので、自由診療の方法を選択したのであるが、その後同会社からは一銭の支払もなく、原告からは過大な治療費等を請求される羽目に陥り、かかる事態は診療契約時において予測できなかつたものである。したがつて、被告の原告に対する右契約の申込の意思表示には要素の錯誤があり、右契約は効果を生じないので、それに基づく原告の本訴請求は理由がない。なお、被告に重大な過失があつた旨の原告の主張は争う。
八 右抗弁に対する原告の答弁
被告の前記の抗弁は争う。原告の治療内容およびその費用は被告の受傷の部位、程度等に照らして必要かつ相当であつて当初から予測しえたものであり、また守口運送株式会社が被告の治療費を負担すること、その不払の事実等は原告の関知しない被告側内部の事情であるので、仮にその点にそごが生じても被告の要素の錯誤とはいえない。仮に、被告の錯誤の主張が理由があるとしても同人には同会社の言を安易に信じた点に重大な過失があるので、診療契約は有効である。
第三証拠関係〔略〕
理由
(昭和四九年(ワ)第三五四号事件)
一 請求原因(一)のうち、原告主張の日時、場所において南から北に向かつて進行して来た李重雄運転の被告車が、その前方の交差点の対面信号の赤色表示に従つて一旦停車したこと。原告が同車の後方で路上に転倒したこと。同人が請求原因(三)の1の頭蓋骨骨折等の傷害をその転倒により被つたことは当事者間に争いがない。しかし被告は被告車の後進および同車と原告の接触の事実を否認し、合わせて仮定的に自賠法三条但書の免責事由を主張するので、これらの点を判断するに当つて本件事故発生の状況について検討する。
(一) 成立に争いがない甲第六号証の四ないし七、同号証の八(一部)、同第七号証の二、同第八号証の二、三、同第九号証の四、五、同第一〇号証の三、同第一四号証の二(一部)、同第一五号証の二、四五、証人堀川重剛の証言により成立を認めうる同第一九号証に同証言、原告、被告会社代表者(一部)および昭和四九年(ワ)第一、七三三号事件原告藤立啓一各本人尋問の結果によれば次の事実を認めることができる。
1 原告の受傷は左側の頭頂部から後頭部にかけてこぶが生じて血腫が発生し、かつ頭蓋骨に陥凹骨折が生じておると共に、右側胸部および右前腕部に挫傷が生じており、右の受傷の部位に照らして、原告の身体には少くとも二度に亘る外力が異る部位に作用し、しかも受傷の程度からみて、その外力はかなり強度であると推定されること。
2 原告は被告車の後進の態様(「じりじりと」「かなりのスピードですつと」)および距離(約〇・三メートルから約四メートル)についてはまちまちの供述をしているが、同車が自宅前左(北)側の路上に運転席を北に向けて一旦停車していたこと、自分が門から路上中央に向かつて二、三歩出て北方を見たとき、同車が後進して来て、危険を感じて額の前に挙げた右手に同車の後部荷台のあたりが接触し、その衝撃で後方に転倒して頭部を路面で強打したことは一貫してその首尾を比較的明瞭かつ詳細に供述していること。原告は明治三四年一月八日生まれの高齢の女子で、左眼は白内障の疾患で手術を受け、右眼の視力も衰えていて日常めがねをかけて生活しており、本件事故の際は近所の銭湯に行くためたまたまめがねをはずしていたが、裸眼でも約三、四メートル離れた対象物ははつきり見えること。
3 右事故当時、晴天であり、右事故現場付近は幅員約六メートルの歩車道の区分のないアスフアルト舗装の南北に通ずる道路(以下本件道路という。)上で、その西側には原告方などの居宅が立ち並び、東側は江野川が流れていたが、当時その川の上を覆つて道路を拡張する工事が施行されており、川の西側岸はさくが設置されており、またその北方には東西に通ずる道路と本件道路が交差する交差点(中宮四丁目交差点があり)があり、同交差点南側手前に横断歩道があり、その南端から本件道路の西側端に沿つて南方に約一三メートルの位置に西側端から約〇・七メートル中央に出て電柱一本が立ち、また、その電柱から約五・五メートル南方に原告方北側の門柱があり、同道路左側端に沿つて細い溝が走り、また同道路東側端付近は幅約一メートルの道路工事中と表示の立看板が北に面して立ち、南北向きに駐車中の普通乗用車が数台車間距離を置いて止つていたこと。本件道路は本件事故現場付近で北に向かつて約一〇〇分の四のゆるい上り勾配になつていること。同道路上の車両の通行量は比較的少なかつたこと。
4 原告は左手に衣替えを持ち、右手に家の鍵を握つて、下駄または草履を履いて表に出たが、足腰はしつかりしており、また本件道路の路面は当時乾燥しており滑り易い状態ではなく、かつ、同人の受傷の部位、程度は単に自ら転倒したにしては複雑かつ重大に過ぎること。
5 被告車は長さ七・五メートル、幅二・一八メートル、高さ二・三三メートル、最大積載量四・五トンの普通貨物自動車で、当時空車ではあつたが、車両重量は三・二九トンであること。
6 原告は転倒したのち、本件道路上を南進する車両一台を見た旨供述しており、李重雄も交差点の対面信号が青色に変つた直後被告車を発進させようした同時くらいに、東西道路の西方から交差点に進入して右折し、本件道路を南進して来る対向車一台と離合したことは認める旨供述していること。
そして、前認定のとおり、被告車の停車位置の左(西)側には電柱が道路上に左側端から約〇・七メートル中央に向かつて出張つて立つており、被告車の車幅は二・一八メートルあり、かつ、道路右(東)側は立看板が立ち、数台の駐車車両があつて、被告車の右横の道幅はかなり狭隘になつており、停車したままでの対向車との離合は必ずしも円滑にはいかないことが窺えること。
(二) そうしてみると、叙上の事実および前掲各証拠を総合すると本件事故の発生状況は次のとおりであると肯認することができ、前掲甲第六号証の八、同第一四号証の二、成立に争いがない同第九号証の二、三および被告会社代表者本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は前掲各証拠に対比してたやすく措信することができず、ほかに右認定を左右するに足りる適当な証拠はない。
1 李重雄は被告車を運転して本件道路を北進して来て、北方の交差点の対面信号が赤色であつたので、その表示に従つて、同交差点手前の横断歩道の南端から約一〇メートル南方の位置に同車前部を前記の電柱から約三メートル北方に出して車体はほぼまつすぐにして一旦停車していたが、前方の東西道路の西方から交差点に進入し右折して本件道路を南進する対向車一台があつたため、それとの離合の際、被告車の右前方の同道路東側には立看板や駐車車両があつて道幅が狭いので、約一メートル後進し、原告方居宅出入口前付近まで後進したこと。
2 他方、原告は被告車が停車中、自宅出入口から本件道路上に出て同車のうしろ約一メートルのところを二、三歩(約一メートル)中央に向かつて西から東に歩き、同車の動静を確認するため北方に身体を向けたとき、同車がにわかに後進して来てその荷台の後部左側あたりが原告の額の前に挙げた右手に接触し、その衝撃で同人は後方に転倒して路面で左後頭部あたりをかなり強く打つたこと。
3 そして、前記の本件事故発生の外形的な状況からみて李は被告車の後進の際、同車の後方を十分確認せず、原告が同人方から本件道路上に出て来て、同車の後方を歩行していることをまつたく気付いていないこと。
(三) 右事実によれば、原告主張のとおり、被告車が後進して原告に衝突し右事故が発生したというべきであり、かつ、同車の運転者李にはその際後方の安全を十分確認しなかつた過失があり、右過失が右事故発生の原因となつていることが認められるので、その余の判断をするまでもなく、被告の前記抗弁は理由がない。なお、原告は同車の後方を約一メートル離れて本件道路を横断歩行しており、同車の運転者が後方を十分確認せず後進して来ることまで予見してその後方の歩行を避止すべき注意義務を原告に要求することはできないので、その北方すぐ近くに横断歩道があることを考慮しても、同人に過失相殺の対象として採り上げる程の過失はないと認められる。
二 請求原因(二)の事実は当事者間に争いがないので、被告は原告に対し、自賠法三条本文により同人が本件事故により被つた損害を賠償すべき義務がある。
三 そこで、原告の損害について検討する。
(一) 請求原因(三)の1の事実については当事者間に争いがなく、成立に争いがない甲第八号証の二、同第九号証の四、五、丙第一、六号証および原告および昭和四九年(ワ)第一、七三三号事件原告藤立啓一各本人尋問の結果によれば原告は同の2に主張のとおり藤立外科に右事故により被つた傷害の治療のため入院(三四日間)および通院したことが認められ、右認定に反する証拠はないが、その後関西医大付属病院に通院したことを認めるに足りる証拠はない。
(二) 右事実を前提にして損害額の明細についてみてみる。
1 治療費
前掲丙第一号証によれば、原告の藤立病院での治療費に八五万一、六〇〇円を要したことが認められ、前掲甲第八号証の二、丙第六号証、原告および昭和四九年(ワ)第一、七三三号事件原告藤立各本人尋問の結果によれば、原告は同病院に入院当初目まいがあり、意識も不鮮明で、一週間位嘔吐を繰り返し、二週間絶対安静を要し、その症状はかなり重篤であつたことが認められるので、高額な投薬、注射料も必ずしも不必要、不相当な過剰なものとはいえないので、前記の治療費の金額は過大であるとはいえないので、そのまま相当な損額として肯認して差しつかえないと考えられる。
2 入院雑費
経験則上、原告は入院期間中一日当り五〇〇円の雑費を要したと認められるので、三四日分のそれは一万七、〇〇〇円となる。
3 入院付添費
前掲丙第六号証および原告本人尋問の結果によれば、原告は同病院の入院期間のうち昭和四八年八月七日から同月二〇日までの一四日間付添看護を必要とし、同人の子らがそれに当つたことが認められるので、その費用は経験則上一日当り二、〇〇〇円が相当であると認められるので、その一四日分は二万八、〇〇〇円となる。
4 慰藉料
本件事故の態様、原告の受傷、その治療経過その他諸般の事情をしん酌すると原告が右事故により被つた精神的苦痛に対する慰藉料は三〇万円が相当であると認められる。
(三) 以上合計すると、原告の損害額は一一九万六、六〇〇円となり、本件事案の内容、訴訟経過、その難易度、認容額等を勘案すると、原告主張の弁護士費用一〇万円は相当であると認められる。
四 以上説示の次第で、被告は原告に対し本件事故による損害額および弁護士費用合計金一二九万六、六〇〇円およびうち弁護士費用を除く金一一九万六、六〇〇円に対する右事故発生日の翌日である昭和四八年八月八日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるので、原告の本訴請求を右の限度で正当として認容し、その余の請求は理由がないので失当として棄却し、訴訟費用の負担および仮執行の宣言につき民訴法八九条、九二条本文、一九六条一項を各適用して主文のとおり判決する。
(昭和四九年(ワ)第一、七三三号)
五 請求原因(一)ないし(四)の事実は当事者間に争いがない。そして、原告方病院での被告の治療方法がその病状に照らして不必要・不相当とはいえず、原告主張の治療費等八五万一、六〇〇円が過大とはいえないことは前記三の(二)の1で説示したとおりであり、右金額は相当な治療費等として肯認して差しつかえないと考えられる。
六 そこで、被告の錯誤による診療契約の無効の主張について検討する。原・被告各本人尋問の結果および昭和四九年(ワ)第三五四号事件被告代表者李重雄本人尋問の結果により成立を認めうる丙第二号証によれば、被告が原告方病院に入院の際、李重雄およびその母丁京順が被告に対し「治療費は私の方が持つから安心して治療して下さい。」と申し向け、被告はその言辞を信用して同病院の治療費等は李らが全部支払つて呉れるものと考えて原告との間で治療費は自由診療扱いとする約定の診療契約をしたことが認められ、かつ、丁はその趣旨を同病院の事務員に告知して原告もそのことを了知していたことが認められ、前掲李本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は前掲各拠証に対比してたやすく措信することができない。そして、その後、李らは約束に違反して被告にも、また原告にもまつたく治療費等を支払つていないことは弁論の全趣旨により明らかであるから、被告の原告に対する診療契約の申込の意思表示には動機の錯誤があり、それは原告に対し一応表示されているといえるが、一般に交通事故に基づく受傷の当初の治療は、原則として自由診療によるのが通例であり、また、加害者側の治療費等の不払の危険負担は被害者がこれを負担し、その診療行為を現実に行つた医師に負わさないのが公平の原則にも適合するので、前記の被告の錯誤は右契約の無効を来たす程の重要性があるとは認められないので、被告はその無効を主張することができないというべきであるから、被告の右抗弁は理由がない。
七 したがつて、被告は原告に対し治療費等の残債務額金四五万一、六〇〇円およびこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四九年四月二五日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるから、原告の本訴請求はすべて理由があるのでこれを正当として認容し、訴訟費用の負担および仮執行の宣言につき民訴法八九条、一九六条一項を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 片岡安夫)